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盛岡の南部煎べい(岩手県)
ある秋の夕暮れ時、私はこのレポートのため、盛岡へ出かけてみました。盛岡ではわんこそば、冷麺、じゃじゃ麺と並んで古くから人々に親しまれている南部煎べいの老舗で有名な白沢煎餅店へ行ってみました。

近くを流れる中津川ではその日、秋の風物詩として知られるサケが傷ついた体で必死に最後の力を振り絞ってもがいている姿が橋の上から透き通った水辺に見ることができました。

サケもこの水の香りを嗅ぎつけて戻ってきたに違いありません。この街を流れる川を中心に四季折々の変化に充ち満ちている岩手公園、赤煉瓦で有名な国の重要文化財岩手銀行、茣蓙九やお店の向かい側には昔ながらの望桜が目を引く番屋などの保存建造物が点在する盛岡でも特に昔の城下町の名残を色濃く残す地域に、このお店はあります。

この日は何とテレビ番組の取材でダニエル・カールさんまで来ているではないですか!また平日にも関わらず、多くの人が、まるでお店の奥にある工場から漂うお煎べいの香りに引き寄せられるかのように、ひっきりなしに出入りする姿が目立ち、お土産にと定番のゴマ、ピーナッツ煎べい、珍しいものでは、冷麺、コーヒー、紅いも、季節限定品のチョコ、おつゆ煎べいなど今では30種類ほどある中から慎重に味見をしながら選ぶ人々の姿が印象的でした。

そもそも南部煎べいはその昔、建徳年間(1370〜1372)に長慶天皇が陸奥の山への旅の途中、お供が空腹だった天皇のお腹を満たそうと山家を食べ物を探して歩いたときに、少しの塩とそば粉を手に入れて雑兵の鉄兜を鍋にし、そば粉に塩を入れて煎べい風に焼き上げ、それを食べた天皇が喜んだことが始まりだといわれているそうです。

凶作に見舞われることが多かったこの地では、一家にひとつ焼き手形をもっていて、ヒエ、アワ、ソバをひいた粉を用いて保存食としてつくられていたようですが、今のように歯触りのよい小麦粉が主原料になったのは、明治維新後だそうです。

さて、ここからが本番です。工場の一角で手焼き体験ができるということで、実際にやってみることにしました。工場内に入る前からすでに外の換気孔から香ばしいにおいがして道行く人の気持ちを和ませています。ときどき、そこに立ち止まってその香りに浸っていく小学生がいるとか。中に入ってみると、焼釜からでしょうか、ふぁっとした熱が、いろいろな材料のにおいと混ざり合って、少しだけ甘みのある丸い空気に包まれていました。そこでは数人の方々がそれぞれの役割分担のもとに黙々と手作業で煎べいづくりに励んでいます。長い方だと28年だそうです。もう南部煎べいづくりの職人さんですね。一日に2万枚〜3万枚できる工程のほとんどが手作業で、数年前からは旧式の手焼きに切り替え、手づくりにこだわっているそうです。
そろそろ私たちの手づくり南部煎べいができ上がる頃です。小麦粉、塩、水を主原料とする生地の伝統的な南部煎べいと、それに卵、バター、砂糖を加えたクッキータイプの大きく分けて2種類の煎べいがあるそうですが、この日はクッキータイプの“かぼちゃ煎べい”をつくりました。あらかじめ4cmくらいに丸く平らに伸してある薄く黄みがかった生地にサッと生のかぼちゃの種をつけ、昔ながらの焼き手形にはさみ、待つこと数分。

自然と新旧の建物がうまく融合した落ち着いた地域で、冬の寒さの厳しい岩手の風土で育った材料を用いて、そこに住む人々の手から丹念につくり出された手づくりの南部煎べいは、どこか懐かしさを思い起こさせるような、つくり手の心の温かさが伝わってくるようなそんな温かな香りがしました。


皆さんも盛岡を訪ねる機会がありましたら、ぜひ自然と風情を感じながら歩いて散策してみることをおすすめします。そして南部煎べいを実際につくって味わってみてください。きっと、ホッと幸せな気分になることでしょう。できたてのかぼちゃ煎べいは、一口かじるとうっすらと湯気が上がり、生地が柔らかくしっとりとしていて、とてもおいしかったです。
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