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アロマテラピーワールドマガジン スイス編第3回 スイスという国
ケイ 川崎   けい・かわさき
(有)ケイズケア代表取締役。AEAJ 理事、AEAJ 企画広報委員、IFPA 正会員、厚生労働大臣認定産業カウンセラー。
アルプス・雪・水の国
「アルプスの国」といわれるスイスには、富士山より高い4,000mを超える山々が30以上あります。18世紀の半ばからアルピニズムが脚光を浴びるようになるとスイスを舞台にアルプス征服の歴史が始まります。すばらしい景観を誇りドイツ語で処女という意味もある優雅なユングフラウ、かつては「魔の山」として恐れられたヨーロッパ最高峰のモンブラン、ピラミッドのような端正な姿が崇高な雰囲気を漂わせるマッターホルンなど初登頂争いが世界でも話題になりました。登山に興味のある人によく読まれていた本が、ハイッリッヒ・ハラーの『白い蜘蛛』(長谷見敏訳、山と渓谷社刊)。作者自身がアイガー北壁の初登攀のメンバーであり、チベットのダライ・ラマの教師であり、現存する最後の探検家のひとりだそうです。ジュネーブからモンブランへは気軽に日帰り旅行もできます。休日にはリュックと登山靴を履いて単行本片手に山頂t近の展望台で、日がな一日過ごしたこともありました。
時を経て、1938年アイガー北壁の初登頂とともにそれらの登山客を迎えるホテルや鉄道の整備が進み、今日のようなスイスの観光産業の基礎が築かれていきました。
スイスは日本と同じく天然資源に乏しい国です。昔は「雪と氷では食ってはいけない」といわれていたそうですが、今やその雪と氷こそが新しい産業発展の資源となっているのです。
ジュネーブの歴史から
ジュネーブの歴史書には、紀元前58年にジュリアスシーザーがアルプスを越えたと記されています。このことはシーザー自身が「ガリア戦記」に書いていて、当時のローマの国境を侵そうとするヘルベチア民族を平定するためにきたと記されています。この先住民族の呼び名からスイスの古名ヘルベチアが誕生しました。当時のローマ帝国はほとんど欧州全土を支配していたので、今でもスイスの至る所にローマ時代の遺跡を見ることができます。ジュネーブのまん中にも、旧市街と呼ばれる一角があり、小高い丘に城壁が巡らされていた様子がうかがえます。しかし、その丘の真下は巨大で近代的な4階建ての立体駐車場になっています。そのコンクリートや鉄柱のすぐ真横に16世紀あたりの城壁あとが今にも崩れ落ちそうに佇んでいます。
スイスといえば、チョコレートとチーズ、時計というのを思い浮かべる人が多いと思います。しかし、スイスは国際金融市場を背景としてハイテク産業にも恵まれています。独立宣言をした頃のスイスは資源が乏しい貧しい国でした。『スイスの知恵』(ロレンスストゥッキ氏著)の中で、「スイスの歴史は血の輸出で始まった」と書かれています。傭兵を他国に提供し、彼らの稼ぎで留守家族が生計を立てるという厳しい生活が長く続きました。わずかの蓄えをいかに有効に運用するか心を砕いた結果、チューリッヒに銀行が出現したという話を聞くと、まさにその生真面目さに納得がいきます。
また高い輸入原料にいかに付加価値をもたせるか工夫がこらされた結果、ドイツ近くの街ザンクトガレンをはじめとする東北部の繊維産業、フランスとドイツの国境近くの街バーゼルを中心とした化学・薬品工業、スイス最大の都市チューリッヒを中心とした重工業、そしてジュラ紀由来のジュラ山脈を中心とする時計やオルゴール、ならびにその製造技術に関与したすべての精密機械工業が発展することになったのです。
山岳国といわれ、これだけ高い山や深い谷で隔てられていると、おのずと生活や文化もその地域ごとの特色をもってきます。また、地方ごとに言葉も違っています。スイスでは現在、公用語としてドイツ語、フランス語、イタリア語が使われています。とりわけ私の主な生活の場だったジュネーブは国際機関の集まるインターナショナルな都市で、人口17万4,000人のうち40%が外国人。国籍は国連加盟国の数より多い192ヵ国に及びます。街の中でも、いろいろな言語が飛び交います。地区ごとにさまざまな国の人たちが密集して住んでいるところもあります。電車で旅行すると、車内アナウンスがフランス語からドイツ語に急に変わったりします。それで「ああ、今、ドイツ語圏に入ったんだな」とおのずとわかります。
フランスにぐるりと周りを囲まれているジュネーブを含むスイス西部地域のスイス人が話しているのはフランス語。スイス訛りがあるといわれていますが、私にはその差は明確に理解できませんでした。確かに、フランスのテレビなどで聞くフランス語とは違っているようです。スイス人は比較的ゆっくり話してくれるのでなんとか聞きとることができます。
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